公認会計士試験の受験記録

記録一覧

第1話 まえがき

私は2019年の公認会計士試験に、62才の時に合格しました。その年度の最高齢合格者でした。その後、近畿実務補習所での補習を経て(*1)、2020年の修了考査に合格し、2021年に公認会計士として登録しました。現在は、税理士としても登録し、公認会計士・税理士事務所として仕事をしています。「62才のときに公認会計士試験に合格しました。」と話すと、大抵驚かれます。「その年で勉強するのは大変だったでしょう。」とか、「よく覚えられましたね。」などと言われます。

確かに年を取ると記憶力は衰えます。昨日覚えたはずなのに、もう今日は思い出せないというのは、しょっちゅうです。ガックリ来ます。若い受験生と比べると、圧倒的に不利です。

また私のように仕事をしながらだと、勉強時間の確保が困難です。それなりに責任のある地位に就いていると、「今日は勉強があるから、そのアポは断ってくれ。」などと言う訳には行きません。日々の糧を得なくてはなりませんので、まずは仕事優先です。家に帰ってから、余った時間で勉強することになりますので、勉強時間は必然的に短くなります。

そのうえ、公認会計士試験は、かなりボリュームのある試験です。まず短答式に合格し、その後、論文式の試験を受験することになります。論文式の科目は、会計学、監査論、企業法、租税法が必須で、経営学、経済学、統計学、民法から一科目を選択します。かなり広範囲の勉強をしなくてはなりません。

ですから、基本的には、毎日長時間の勉強時間を確保し、集中して勉強し、短期間で合格するというのが合格への近道だと思います。従って、その面では、大学生や受験専念組が有利です。

しかしながら、社会人受験生が一方的に不利という訳ではないと思います。公認会計士試験のような実学の試験では、社会人としての経験が大いに役立つのです。例えば、大抵の大学生は手形など見たことも聞いたこともありません。代表取締役が何なのかも、良く分かっていません。ブルー・オーシャンと聞けば、彼らはハワイか沖縄の海を連想しますが、社会人ならレッド・オーシャンは日常的に使う言葉でしょう。彼らは、そのレベルからスタートですから、社会経験のあるサラリーマンにはアドバンテージがあるのです。

失われた20年の間に日本企業の競争力が損なわれ、終身雇用制度が揺らぎ、ジョブ型雇用の時代が到来しています。サラリーマンも何かの武器を持たないと生き残れない時代になりました。社内事情に精通し、仕事の段取り・根回しが抜群というだけでは、生き残れないのでしょう。

公認会計士や税理士の資格を取って、公認会計士・税理士と書いた名刺を差し出すと、前と同じことを言っていても、説得力が全く違います。痛感しました。

私は是非皆さんにも、公認会計士だけに限らず、難関資格を取得して、これからの時代の荒波を力強く乗り越えていただきたく、私の経験が参考になればと思い、この文章を書くことにしました。
「あの時、西本さんの文章を読んで、私はこの資格を取ることが出来ました。」という方が、一人でも出てくだされば、本当にうれしく思います。


(*1):私は近畿実務補習所の補習の考査部門で3位となり、銀賞をいただきました。


第2話 なぜ公認会計士試験にチャレンジしたのか

私は大学を卒業して、ある地方銀行に就職しました。大学の学部は法学部でしたので、会計学や簿記について大学では学んでいませんでした。かといって法学の知識はというと、極めて頼りないものでした。辛うじて英会話だけには少し自信がありました。京都YMCAの英会話学校に通っていまして、一番レベルの高いクラスに入っていたからです。本人は商社に入って海外勤務で活躍したいと思っていましたが、残念ながらご縁がなく、なんとか地方銀行に潜り込みました。

最初は支店で営業をしていましたが、英語が少ししゃべれるということで、25歳の時に国際業務部門に配属されました。その後、51歳の時に支店長になるまで、ずっと主に銀行の自己資金の運用部門で資金運用を担当していました。バブル経済の崩壊やリーマンショックといった荒波をかいくぐって、運用者として長年まずまずの成果を出し続けていましたので、自分で言うのも何ですが、運用者としては結構優秀であったと思います。

話は脇道にそれますが、運用者として成功する秘訣は損切りにあります。運用者は投資をするに当たって、必ずシナリオを描きます。「こうなるはずやから投資しよう」と言う訳です。同時に、シナリオ通りにならなかった場合のリスク対応も考えています。ところが、大抵の人は想定したリスク対応を実行出来ないのです。その場に直面すると、ついつい「まだ大丈夫なはずや。すぐ元に戻る」とか、「自分は間違っていない。間違っているのは市場や」とか、自分に都合の良い理屈を考え出し、損切りのタイミングを引き延ばし、結局、傷口を広げてしまいます。運用に百発百中はありません。出来るだけ損を少なくし、益を多くした人が生き残ります。でも損切りは自己否定です。自分がやったことは間違いであったと認めることです。これがなかなか出来ないのです。部屋に一杯になっている不要な物を捨てられないのも、自己否定が出来ないからです。不要な物をムダに買ったという自分の行動の誤りを認められないのです。運用の世界では、こだわりなく自分の誤りを認め、当初の予定通りにスパッと損切り出来る人が勝つのです。ただし、そんな人はかなりの変わり者であることも事実です。

そんなこんなで、私は銀行の取締役になったのですが、ついに銀行をお払い箱になり、子会社の社長に就任することになりました。サラリーマンの世界はイヤらしいもので、本社から外れると、途端にお誘いが無くなります。それまで毎日のようにあった夜の宴席は無くなり、土日のゴルフの誘いもなくなります。すっかり暇になってしまいました。その時既に日商簿記1級に一発合格し、自分には会計の才能があると誤解していた私は、暇に任せて無謀にも公認会計士試験の勉強を始めたと言う次第です。

では何故公認会計士だったのでしょうか?公認会計士という資格が、非常に汎用性のある資格だと思ったのです。公認会計士だけでなく、税理士にもなれる。監査法人に勤務する以外に、一般事業法人に勤務してCFΟにもなれる。経営コンサルタントも出来る。企業再生の専門家になれる。M&Aのアドバイザーも出来る。経験さえ積めばプロの経営者としても活躍出来る。社外取締役への就任要請もある。すばらしい資格だと思ったのです。

いや、ちょっと違います。そんなきれいごとではありません。本音はリベンジしたかったのです。本人は、平取締役で終わるつもりではなかったのです。常務、専務と昇進し、あわよくば頭取もと考えていました。しかしながら、「君、もう終り」と通告され、子会社の社長になりました。もう復活の道はありません。本当に悔しかったなぁ。もう終りと通告された日の夜は、悔しくて眠れませんでした。

私のいた銀行では、当時、一旦子会社の役員として転出すると、もう銀行本体に復帰することはありませんでした。子会社と言っても代表取締役社長として処遇されましたので、それなりの待遇でしたが、そこで朽ち果てて行くと考えると残念でなりませんでした。もう一花咲かせたいと考えました。そこで公認会計士試験にチャレンジし、第二の人生を始めようと考えたのです。

公認会計士試験を選んだ理由は、先程も述べましたが、汎用性のある資格だと考えたことなのですが、自分は公認会計士試験に向いているのではと考えたことも、要因の一つです。銀行員時代に資金運用部門で働いていたとお話しましたが、その際に日本証券アナリスト協会の検定会員としての資格を取得していました。いわゆる証券アナリストの資格です。この資格試験の科目には、証券分析や経営学などの他に財務会計がありました。財務会計を学ぶのは、このときが初めてでしたが、結構自分との相性が良いと感じ、試験に合格するためだけではなく、かなり深くまで学びました。テキストを読み込みました。

そんな訳で、財務会計や簿記については、それなりの自信を持っていました。そんなおり銀行の行内報に、日商簿記2級の合格体験記が掲載されました。なかなかに難関の試験で、よく頑張りましたねという感じの記事でした。それを読んで、「ふーん。日商簿記2級とは、そんなに難しいのか!私は、財務会計や簿記に自信を持っているけど、実力はどれほどのものか、一度試験を受けて試してみよう」と考えました。早速近くの書店で試験に申し込みました。当日の試験では、自分の知らない論点の問題もあったのですが、これまで学んだことから考えて、このような処理になるはずだと考え解答しました。結果発表の日、奈良商工会議所の掲示板を見ると、私の受験番号がありました。喜んで商工会議所の方に点数を聞きに行ったところ、100点満点との答えが返って来ました。これはうれしかったなぁ。自分には財務会計や簿記に関する才能があるのではと、自信が出ました。ところが、そのあと残念なお知らせがありました。「君、もう終り」と、子会社行きを命じられたのです。

子会社行きが悔しかったのは間違いないのですが、与えられたポジションで全力を尽くすのが私のポリシーなので、子会社でも全力投球で仕事を始めました。

この子会社は、正社員50名程度の小さな会社です。もともとは親銀行のシステム開発人材の供給会社としてスタートしたのですが、親銀行がシステムを共同化したため、役割が変わり、親銀行やグループ各社からの周辺システムの開発だけでなく、グループ外からもドンドン仕事を取って儲けて欲しいというのが、親銀行の要請です。要請はこれだけで、親銀行からの拘束も少なく、自由に社長自らが考え経営することが出来ました。社長である私が決断したら、もうGOサインですので、「必要なことはまず口頭で社長に説明せよ、書類は後から簡単なメモ書きでもいい」といった感じでした。かなりスピーディーに業務が進んで行ったように思います。この当時、結構生き生きと仕事をしていました。銀行の取締役をクビになって落ち込んでいるだろうと思ったのに、元気に仕事しているので安心したと、友人に言われたことがありました。「俺は本来こんな所にいる人間ではない」という所がまったくないので、西本さんは偉いなあと、取引先の社長に言われたこともありました。

そんな状況下で頑張っていたのですが、「この会社でこのまま社長を続けて、数年後に退任して、あとはそのまま朽ち果てて行くのは本当につまらない。なんとかもう一花咲かせたい。そのためにはどうすればいいのか?」との思いが強まり、色々悩んだ結果、公認会計士試験にチャレンジすることにしました。普通の人なら、そこで退職して受験に専念するのでしょうが、根性の座っていない私は、在職しながらチャレンジの道を選びました。ただ、この在職しながらの選択は、間違っていなかったと思います。

最近アゴラで読んだ黒坂岳央さんの記事に、次のような記述がありました。以下は引用です。

ビジネスでも投資でも最重要なポイントは共通している。それは「絶対にゲームオーバーになってはいけない」ということだ。

たとえば資金100万円を投資にまわす場合に、いきなり全額100万円を投じてはいけない。金融トレードで不慣れだと操作ミスで予期せず売買間違いをしたり、FXでロスカットになればいきなり退場することになってしまうからだ。

だからまったくの初心者が投資をするなら、まずは1,000円だけで、要領を得るまでひたすらトレードの練習をし、リスクリワードやプライスアクションなどの基本概念を血肉化するまでは徹底的に少額で練習するべきだと考えるのだ。だが現実的には、退職金で得たまとまったお金を全額投じて、いきなり失うという人がいる。スモールスタートの概念を知らないか、忘れているからだ。

また、ビジネスにおいてもスモールスタートは重要である。筆者は常にそうしてきた。過去に起業で軌道に乗るまで何度も何度も失敗した。筆者は要領が悪く、人より不器用なので成果を出すまで時間がかかってしまった。いきなり脱サラしていたらおそらく、貯金が溶けていく恐怖から撤退、すなわちゲームオーバーしていただろう。

だが、週末起業でやっていたので2年間ビジネスが軌道に乗るまで、会社から給料を受け取りながら焦らずじっくり出来た。だから退場せずに済んだ。その後もいろんなビジネスをやってきたが、その多くは失敗してきた。未だに新規の試みはよく失敗する。しかし、まずはスモールスタートで大き過ぎるリスクを取らなかったので、軌道に乗るまでじっくりやれたと思っている。

筆者は優秀な人物ではないが、優秀な人物が大胆に見えてその実極めて慎重な人ばかりであることを理解し、取り入れたことでなんとかなった。これはあらゆる場面で活用出来る概念であると信じている。

引用ここまでです。

これを読んで、改めてサラリーマンが退職して受検に専念することは、ゲームオーバーになるリスクが高いのだと感じました。まずはスモールスタート、すなわち働きながらの受験勉強で始めることが賢明なのではないでしょうか。ビビリの私は、結果的に賢明な選択をしたのだと、改めて感じました。仮に退職して受験に専念するとしても、例えば短答式に合格し、論文式も合格出来るという感触を得た段階、すなわち目処が立った段階で良いのではないでしょうか。


第3話 本気になったら大原♪通信講座は大原を選ぶ

さて、通信教育で公認会計士試験にチャレンジすることを決心したのですが、どの学校を選んで良いのか分かりません。TAC、CPA、クレアール、LEC、大原が候補に上がりますが、どこを選んだらいいのか全く分かりません。そういった時には、信頼出来る人に聞くのが一番。かつての部下で、仕事をしながら税理士を目指していたΟ君に聞きました。さすがに自分が公認会計士試験を受けるとは言えなかったので、息子の相談と言うことにしました。「大原です!」という答えが即答で返って来ました。彼は優秀な部下だったので、その答えで大原に決めました、出張で吉野に行く途中に立ち寄ったコンビニの駐車場で、大原に申し込みました。いまでもこのコンビニを通ることがありますが、ここが今の私の出発点だと思うと、感慨深く、必ず立ち寄って買い物をします。

大原に申し込んでから数日後、教材が次々と送られてきました。その量に驚きました。ただしこれは手始めで、最終的な教材の量は想像をはるかに超えるものでした。反吐が出そうでした。

ただし心配ご無用です。それぞれの科目の担当講師が、非常に丁寧に理解しやすいように講義してくださいます。これを真面目に受講することで、理解がドンドン深まります。私は日商簿記1級までは、独学でした。何度本を読んでも理解出来ないことが、たくさんありました。しかしながら合格するために、理解出来ないではすまない。何故そうなるか分からないけれども、とにかく丸暗記しておけ!という論点が多くありました。

ところが大原の講師の方達は、さすがにプロです。私が理解出来なかった論点を、非常に理解しやすく、丁寧に講義で説明してくださいます。「ああ!そういうことやったんか!」とスッキリと腹落ちすることがたくさんありました。ずっと疑問に思っていたことが、氷解していく。このプロセスは非常に楽しいもので、ドンドン講義にのめり込んで行きました。

私は大原にお世話になり、非常に感謝していますが、大原の宣伝をする意図はありません。プロの講師はこれほどに素晴らしいということを、お話ししたいのです。実際にその後TACやCPAの講義を受けたことがありますが、みなさん素晴らしい講義をされていました。さすがです。こういうプロの方達の指示に従って勉強を続けさえすれば、合格は決して不可能なものではないのです。


第4話 合格までの軌跡・論文式2回目まで

私は、やはり仕事をしながらの勉強だったので、2年間で合格を目指すコースを選択しました。しかしながら、実際の受験では、大原が基本スケジュールとしている、12月に短答式合格、翌年8月に論文式合格というスケジュールに合わせるには、随分学習が遅れました。そのため、12月短答式は試し受験、翌5月が本命、当然8月の論文式は間に合わないので、そこは試し受験にして、翌年8月が本命という計画でした。3年間で公認会計士試験に合格という計画でした。

短答式は計画通りに12月は善戦したものの不合格。しかしながら翌年5月には合格。その年の8月の論文式は、準備不足ながら意外に健闘した不合格。自信満々で望んだ翌年8月の論文式に不合格になりました。追い詰められました。

ご存じのように、短答式に合格すれば、3年間は短答式が免除され論文式を受験出来ますが、3回不合格だと、また短答式からスタートしなければなりません。これを受験生は三振と呼んでいます。私は三振の一歩手前、ツーストライクと追い詰められた訳です。

それぞれの受験は、こんな感じでした。

短答式第1回目、12月の受験場所は、関西大学でした。丘の上のきれいな大学でした。短答式は大原の答練(「答案練習」のことだと思います、知らんけど。)などで何度も練習していましたので、試験そのものに戸惑うことはありませんでしたが、若い人達の中で老人は悪目立ちしているという自覚があり、居心地は悪かったです。予想通り、財務会計や管理会計は時間不足でしたが、これも予想通りで、理論問題を優先して回答し、計算問題は出来そうなものから優先的に回答しました。監査論や会社法は時間が余りました。結果は予想通り不合格でしたが、惜しい不合格でした。会社法が95点で、大活躍でした。

短答式第2回目、5月も関西大学です。また来ましたという感じです。今回は事前の答練の感触も良く、レベルアップしているという実感があったので、自信満々です。休憩時間にスマホでLECの解答速報が出ていることを知りました。昼休みに見て答え合わせをしたところ、企業法はまた95点、管理会計論もいい感じ。自信を持って午後の監査論と財務会計論に臨みました。結果は余裕で合格でしたが、非常にうれしかったです。ただし、試験中に答え合わせをするのは悪手かもと考えます。たまたま良かったからいいものの、ダメだったら落ち込んで、その後の科目に悪影響が出て、受かるものも受からなくなっていたかも知れません。

論文式第1回目、8月は立命館大学の大阪いばらきキャンパスでした。立派なキャンパスでした。論文式の準備は、ほとんど出来ていませんでしたので、今回は雰囲気を知るためとして受験しました。そのため、あまり緊張もせず、どの科目も、それなりに答案を埋めることが出来ました。結果はもちろん不合格でしたが、監査論は合格点(52)超え、会計学(午前・午後)、会社法、経営学は50前後でした。租税法は全く準備をしていませんでしたが、それなりに点数が付いていて、驚きました。論文式に対して自信が付きました。

論文式第2回目はいよいよ本番です。この日に向けて1年間準備しました。大原の模試は、春にはB判定だったのですが、夏にはD判定に落ちてしまいました。まさに急落といった感じでした。答練の出来も悪くなっていました。不振の原因は、ひとつではありませんでしたので、困りました。夏の模試では、焦って問題を読み間違ったり、問題を読み飛ばして解答出来なかったり、解答欄を間違ったりと散々でした。学習も、枝葉の部分で重要性や出題可能性の低い論点、いわゆるC論点やD論点に変にこだわり、肝心のA、B論点の精度が下がっていました。

大原の講師陣は常々、論文ではA、B論点の精度を上げることが重要と言っておられましたが、その逆をやっていたのです。実は春の模試でB判定を受けたあと、合格可能性を高めるには、上位合格が出来るよう、皆が解けないC論点も出来るようにしようと、変な方向に向けて走っていたのです。

夏の模試のD判定を受け、これらの点を反省し、A、B論点の精度を上げるため、ラストスパートを掛けました。前回は論文式の試験前日まで仕事をしていましたが、今回は論文式試験の前に1週間の連続休暇を取り、A、B論点の確認をひたすら繰り返しました。

試験の感触は、会計学(午前=管理会計)を除いて良好でした。会計学(午後=財務会計)は105.15(100点に換算すると52.575)、監査論は49.15、企業法は55.50、租税法は54.80、経営学は60.60で科目合格、とここまでは順調でしたが、会計学(午前)は29.85と信じられないような低い点数でした。特に第一問は7.55で、100点に換算すると15.10でした。会計学(午前)では、第一問の最初の方の問題で、割り切れない答えが出てしまい、そこから後の問題は全滅でした。あせって何度も検算したのですが、割り切れる答えは出ず、そこで大幅に時間を費やしてしまい、第二問に割く時間が無くなってしまいました。自宅に帰ってもう一度その問題を解いたところ、あっさりと正しい答えが出ました。いい年をした老人なのに、年甲斐もなく慌てて焦って、問題を読み間違えていたのでした。メッチャ落ち込みました。普段の答練や模試などでも、焦って問題を読み間違うということをよくやっており、「焦ってもロクなことはない。慌てずしっかり問題を読んでから解答しなければ。」と反省し、自分に言い聞かせていたのですが、普段出来ないことは本番でも出来ませんでした。

皆さんにお伝えしたいことは、問題を正しく読まないと、絶対に正解にたどり着けないということです。ゆっくり慎重に問題を読んでも、ライバル達にたいして遅れを取るわけではありません。むしろ問題を読み間違えれば、もう勝機はありません。さらに、繰り返しですが、普段出来ないことは、本番でも出来ません。普段の勉強から、問題文を慎重に正しく読む訓練をしてください。


第5話 合格までの軌跡・論文式3回目

そんなことで、論文式第2回目の挑戦は失敗に終わりました。ちょっと落ち込みましたが、気を取り直して第3回目の挑戦に向けて動き出しました。次に不合格になった場合、いわゆる三振で、再び短答式から挑戦しなくてはならず、まさに背水の陣です。

ここでひとつの選択をしなければなりませんでした。それは科目合格した経営学をどうするかです。科目合格した場合、その科目を受験しなくても良いのですが、あえて科目合格の権利を使わず、受験することも出来ます。「なんで?科目合格したら、その科目はパスしたらええやん。」と思われるかもしれませんが、論文式は全科目の平均点が勝負なのです。科目合格出来るということは、その科目が得意で得点源なのです。その科目で平均点を上げることが出来るのです。科目合格の権利を使えば、学習時間を他の科目に振り向けることが出来るというメリットはありますが、得点源を捨てるというデメリットもあるのです。

結局、自分では結論が出ず、初めて大原の講師に相談することにし、予約を取って京都校へ行きました。老人が突然相談に現れたので、京都校の講師の方は少し面食らっておられましたが、親切に教えてくださいました。曰く、科目合格が学習時間のかかる、例えば会社法なら科目合格の権利を使うべきであるが、経営学は学習時間の負担が少ないので、得意科目を捨てるデメリットが大きいとのことでした。さんざん悩みましたが、勉強時間に制限のある社会人受験生は、経営学であっても科目合格の権利を使うべきだという結論に達しました。

経営学の科目合格の権利を使ってみると、勉強時間の削減というメリット以外にも利点がありました。経営学は、論文式試験の最後の科目なのです。他の受験生が、「さあこれから最後の科目だ!」と緊張しているときに、「お先に!」という感じで帰ることが出来るのは、ちょっとした優越感でした。こんなことで優越感を感じている私は、本当につまらない人間だと思います。

さて、すっかりベテランの受験生になった私は、再び気を取り直して勉強を始めました。浪人生なので、現役生がまだ手が回らない租税法などの答練では、当たり前ですが、高得点の連発で、成績優秀者に名前が挙がるようになっていました。このことが結構な励みとなり、今回は順調に学習が進んで行きました。土日にはひたすら答練に取組み、月曜日の朝の出勤時に郵便ポストに大量に投函するという生活を続けました。週日は飲み会の誘いを断り、早く家に帰って勉強をし、土日はゴルフの誘いを断り、ストップウォッチで時間を計り答練に取り組むという生活を続けていると、いよいよお誘いが無くなって来ました。友達からの誘いも、すっかり無くなりました。少し寂しい気もしましたが、何か大きな目標を達成するためには、捨てなければならないものもあると自分に言い聞かせ、勉強を続けました。

前回の論文試験では、高得点での合格を目指し、出題頻度の低いC論点やD論点にこだわり勉強時間を費やしていましたが、今回は大原の講師の方々が強調されるとおり、A論点やB論点の精度を上げることに時間を割きました。基礎的な反復教材を繰り返し学習し、記憶の定着に努めました。なんと言っても老人で、記憶力は間違いなく衰えています。昨日覚えたことも、翌日にはすっかり忘れています。そんな感じです。記憶の定着のためには、ひたすら繰り返しかないと自分に言い聞かせ、昨日覚えたはずのことを忘れていても落ち込まず、繰り返し繰り返し暗記しました。

今回は春の模試も夏の直前模試も、成績は良好でした。大原から、不合格になって再度通信教育を受ける場合の割引券をゲットしました。うれしいことはうれしいのですが、使いたくない割引券でした。

論文式試験の前に、今回も一週間の連続休暇を取りました。さすがに3回目ですので、この一週間で、試験範囲を全て見直すことが出来ました。

ついに背水の陣の試験が始まりました。今回不合格なら、もう一度短答式からやり直しです。

1日目の最初の科目は監査論です。いつも通り出来ました。感触は52、実際は50.35でした。次は租税法。難易度の高い問題が多く、苦しみましたが、最後の方の消費税の問題にも手が付きました。感触は56、実際は55.50でした。

2日目は、昨年失敗した管理会計から。今年も出来は良くありませんでしたが、昨年のような大失敗は回避できた感じです。感触は50、実際は49.10でした。午後は財務会計。昨年までと問題の形式がガラリと変わっていました。少し面食らいましたが、条件は皆同じと自分に言い聞かせ、時間配分に気をつけて問題に取り組みました。感触は54。実際は55.95でした。

いよいよ最終日、3日目です。この日は何と筆記用具を全て忘れるという大失態を犯しました。試験会場の席について、鞄を明けて筆箱を忘れたことに気が付きました。慌てました。走って駅前のコンビニに駆け込みました。ボールペン、シャープペン、消しゴム、修正テープ、全てコンビニにありました。日本のコンビニは素晴らしい!と感心している場合ではありません。走って会場に戻りました。早めに会場についておいて助かりました。会社法の試験が始まりました。答練でやったことのある問題ばかりでした。ビンゴです。感触は60。実際は63.25でした。この時点で合格を確信しました。

自分の感触では合格間違いなしと確信していましたが、やはり合格発表までは不安でした。不合格の場合は短答式から始めないといけないので、短答の時の教材を引っ張り出して勉強をしなくてはと思いつつも、全く集中して勉強できませんでした。

合格発表の日、インターネットで自分の番号を見つけた時は、ホッとしました。記念に現地に行って確認しようと思い、近畿財務局まで行ってスマホで自分の名前の部分を写真に収めました。近畿財務局に向かう途中で大原から電話がありました。合格祝賀会のお誘いです。即座に「行きます!」と答えました。

合格祝賀会には、受験時代から是非参加したいと思っていました。高齢者なので他の参加者から怪訝そうに見られましたが、そんなことはお構いなしです。自分の子供達より若い合格者達と、楽しく交流しました。記念写真にも収まりました。


第6話 修了考査合格までの道のり

公認会計士試験に合格しただけでは、まだ公認会計士ではないのです。公認会計士になるためには、監査法人等で監査実務の経験を2年間積み、同時に実務補習所で3年間の講義を受け、最後に修了考査に合格しなければなりません。

講述しますが、この修了考査が難物で、私が合格した年の合格率は45%でした。公認会計士試験に合格した者の合格率が45%と言うことは、公認会計士試験に合格しても、半分以上の人は公認会計士になれないと言うことです。これは大変厳しいです。

では、修了考査合格までの道のりをお話しします。

公認会計士に合格してから、実務補習所のガイダンスを受け、通常は3年かかる終了考査までの期間を、最短1年に短縮することが出来るとの説明を受けました。

方法はこうです。まず金融庁に申請し、銀行業務での経験が、監査法人等での実務経験に相当すると申し出ます。その一方で、実務補習所に、本来3年間で受講する講義を1年間で受講したいと申請します。金融庁から実務経験ありと認めてもらい、実務補習所から短縮受講の許可を受ければオッケーです。

実務補習所へは、所定の申請書を提出するだけでしたが、金融庁への許可申請書類は、かなりボリュームのあるものを作成しました。それまで銀行で行って来た、企業分析や決算業務等に関する仕事の内容を、具体的に資料を添付して説明する必要があるので、なかなか大変な作業でした。

金融庁での審議ののち、近畿財務局長から「業務補助等報告書の受理について」という書類が到着し、私の申請した業務経験が監査法人での業務経験に相当すると認められました。この書類を実務補習所に提出し、講義の1年間での短縮受講が開始します。

ところが3年コースを1年でと、一言で言うのは簡単ですが、実際のところは結構大変でした。まず、公認会計士試験は大原の通信講座で勉強しましたので、リアルの講義を受けるのは実に久しぶりで、しかも講義が1コマ3時間もありましたので、もう起きているだけで大変です。随分ドリンク剤のお世話になりました。平日の業務終了後に講義があるときなどは、田舎の木津川市に住んでいる私は、大阪から帰ってくると、もう日付が変わっていました。このころは、まだ南都コンピュータサービスの社長をしていましたので、翌日の仕事に堪えました。土日にも講義がありましたが、3コマもあるときがあり、もうヘトヘトになりました。この状態が続いていたら、もたなかったかも知れませんでしたが、時悪しくコロナが蔓延しだしました。このため、リアルの講義がリモートの講義に移行し出しました。移動時間だけでも、かなり助かりました。何とか講義を受け続けることが出来ました。ただし講義は実務家の先生方が講師をして下さっているので、非常に実務に則した、興味深い内容のもので、勉強しているなぁと言う実感がありました。

講義が終わったあと、確認テストのような感じで考査がありました。正確に覚えていませんが、8回ぐらいは試験があったように思います。この試験で60点以上取らないと不合格で、再テストと言うことになります。特に税務の考査が難しかったように記憶しています。私は幸いにも、この考査で良い点を取ったため、前述のように近畿実務補習所で3位の表彰をしていただきました。

それ以外に論文提出が6回ありました。これも60点以上取らないと不合格になります。関連する資料を読んで論文を作成する必要がありましたので、かなりの時間を論文作成にもつぎ込みました。

そうやって実務補習所での勉強をする一方、修了考査の準備もしなければなりませんでした。前述の通り、修了考査の合格率が急激に下がっていたので、実務補習所の勉強だけで修了考査に立ち向かうのは不安でした。色々情報収集すると、大多数の補習生は修了考査用の通信講座を受けていると分かりました。そしてほとんどの補習生はTACの通信講座だと言うことでしたので、迷わずTACの通信講座を受けることにしました。

近畿実務補習所での講義を受けながら、考査を受けて、論文を作成しながら、TACの通信講座を受け、TACの答練を解きました。今から考えても、この時期はかなりハードなスケジュールでした。

10月ごろに、修了考査を受験するための資格が取得できました。すなわち、必要な講義を受講し単位を取り、考査部門でも十分な単位を取り、論文でも合格点に達する単位を取得出来ましたので、修了考査の受験を申し込みました。

修了考査は12月の土日にありました。科目は、会計(試験時間:3時間、配点:300点)、監査(3時間、300点)、税(3時間、300点)、経営(2時間、200点)、倫理(1時間、100点)でした。総得点で60%以上が合格点ですが、1科目でも40%未満の科目があると、足切りで不合格になります。会計、監査、税の試験のボリュームは膨大で、とにかくひたすら、試験時間の3時間の間、文字を書き続けるというような感じの試験でした。これまでの人生の中で、短時間にこれほど大量の文字を書いたことはありませんでした。さらに試験の問題は、TACの答練や模試では全く出なかったものばかりで、通信講座の効果は全くなきに等しい感じでした。ただし、大多数の受験生がTACなので、みな条件は同じですので問題なしです。

なお、私の印象では倫理が一番のくせ者だと思います。配点が全体で1,200点のうちの100点なので、どうしても勉強が後回しになってしまいがちです。ですが、もしここで40%未満の点数を取ると足切りになります。不合格になってしまいます。私も倫理は一番後回しになってしまい、試験直前になって焦って勉強をしました。結果は50%以上60%未満のゾーンだったのですが、もうちょっと間違っていたら、足切りになった危険性もありました。

全体的な感触としては、良く出来たと自信を持って言える訳ではないが、多分合格しているだろうと言うものでした。合格発表は4月2日で、無事に合格し、やっと公認会計士の資格にたどり着きました。


第7話 ○○君への手紙

パソコンを整理していたら、こんな手紙が出てきました。公認会計士試験についてアドバイスが欲しいと言って、コンタクトしてくださった○○君への手紙です。こんな私ですので、大したアドバイスは出来なかったのですが、連絡をくださったことが嬉しくて、一生懸命に手紙を書いた記憶があります。もし良ければお読みください。


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あくまでの私の個人的な感想ですが、公認会計士試験はまじめに勉強すれば合格できる資格です。能力不足で合格出来ないというような資格ではありません。司法試験とは、ちょっと違うと思います。その証拠に、司法試験はやはり東大生が多いですが、公認会計士試験は一般大学の卒業生が多くいます。私のように同志社大学でも合格できます。従って、とにかく勉強時間をいかに確保するかが大切です。

 次に短答式と論文式では勉強方法が異なると思います。以下で具体的に説明します。

 まず、合格率ですが、ざっくり短答式20%、論文式40%ぐらいです。従って、短答式では上位20%に入らないと合格出来ませんが、論文式では偏差値52、すなわち平均点よりちょっと上で合格出来ます。つまり、論文式では、みんなが解けるA論点、B論点をしっかり押さえ、そこにちょっとのプラスで合格できる訳です。しかしながら、短答式は上位20%に入らないといけませんので、A論点、B論点だけでなく、C論点、D論点、もしかするとE論点まで手を広げないといけないのです。そして基本的に、C→D→Eと行くについて、範囲が広く論点数が多くなります。その結果、定着する=記憶するのに時間がかかりまず。よく短答を通ればあとは楽勝とか言われます。楽勝とは言いませんが、論文に比べ短答の方が難しいと思います。論文の合格率は40%で、3回短答免除で受験できます。つまり、三振する確率は60%×60%×60%=21%です。短答に合格すれば、80%の人は論文に合格するということです。本当はもっと合格率は高いと思います。

 私の短答式ですが、2016年12月は合格ライン67%に対し、30点足らず不合格。2017年5月は合格ライン64%に対して67%で合格しました。勉強方法は、徹底的に肢別問題集を回転しました。何度も繰り返して定着を図りました。私は法学部出身で、直前に事務統括部長や経営管理部長をやっていましたので、民法や会社法に接する機会が多く、企業法は得意で2回とも95点でした。それでも全体ではこの得点ですので、他の科目の出来は悪いです。

 最近の短答は管理会計が難しいと聞いています。これについてはCPA会計学院の池邉先生や、「公認会計士への道」の松本先生がYouTubeで語っておられるので、参考にされれば良いと思います。

 ○○さんの短答式の結果を見せてもらいましたが、企業法も監査論も、テキストをしっかり読んで、肢別問題集を繰り返せば、もっと点数が上がると思います。また、財務会計の理論も、もっと精度を上げることで点数が出ると思います。

 論文式の成績表は添付しておきました。じわじわと時間をかけて底上げをした感じです。1回目の租税法などは、5月短答合格で8月論文試験だったので、まったく準備が出来ておらず、計算問題はほとんど白紙でしたが、それなりに点数がついていました。

 このことからも分かるように、租税法はちょっと勉強すれば、すごく点数が上がります。翌年からは得意科目になりました。

 監査論は、粗点の平均点が非常に低いそうです。従って、1点、2点の影響度が大きく、ちょっとうまく書けたら点数が跳ねます。例えば1年目の監査論の2問目ですが、31.25ということは、100点換算で62.5になります。これは事例問題だったのですが、銀行員としての経験を生かしてちょこちょこっと書いたら、こんな点数になりました。

 全般的な注意事項ですが、1年目の時は、先ほどお話しした、論文式はA、B論点をしっかり押さえるということに気が付いていませんでした。従って、手広くC、D、E論点にまで手を出して、その結果、時間不足でA、B論点の精度が上がらず、いい答案が書けませんでした。翌年からは、このことに気づき、論文試験が近づくまでは、答練を中心にして、様々な論点の勉強をしていましたが、第2回目の論文模試の前あたりから、A、B論点に焦点を絞って記憶の精度を上げる努力をしました。論文試験の1週間前に連続休暇を取って、朝から晩までA、B論点に絞って繰り返しました。

 2回目の論文で、経営学が科目合格になりました。おかげで勉強時間の少ない社会人受験生にとっては、助かりました。科目合格は使わないという選択も出来ます。得意科目のはずなので、科目合格を使うと不利になるという考え方もありますが、私は勉強時間の削減というメリットを選びました。

 2回目の会計学の1問目の点数が7.55です。100点換算で15.1です。ありえないような低い点数です。これで2回目が不合格になりました。原因は、最初のところで問題文をよく読まずに計算を始めたため、あとは全滅というものでした。いい年をして、緊張して焦ってしまったのだと思います。急がば回れ、問題文はよく読むようにしてください。

 論文受験生の中には、全く文章が書けないという者もいます。その点、銀行員の○○さんは、稟議作成などで、読み手である上司を納得させる文章を書くことが出来ると思います。これは大きな武器です。論文試験は社会人に有利です。

 論文試験の場合、問題文をよく読んで、問われていることにちゃんと答えるということが大切です。ピント外れでは点数が出ません。

 予備校の通信教育は、受けた方がいいと思います。特に論文になると答練によるアウトプットの訓練は絶対に必要ですし、答練が学習のペースメーカーにもなります。もちろんタダではないので、予算の問題もあると思いますが、12月に短答に合格したら、受けてもいいのではないでしょうか。費用はかかりますが、ゴルフや酒を飲みに行くことを思えば安いものかなとも思います。

 繰り返しですが、公認会計士試験合格に能力は要りません。学習量が合格レベルに達すれば合格出来ます。「努力すれば成果が出る」のではなく、「成果が出るまで努力を続ける」です。お仕事で大変でしょうが、是非頑張ってください。

 関西に来られる機会があれば、連絡してください。私は7月末でコロナのワクチン接種が終わりますので、お付き合い出来ると思います。連絡を楽しみにお待ちしています。

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以上です。その後、連絡が途絶えたのですが、元気に頑張っておられるのかなぁ?連絡をくださるとうれしいなぁ。




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